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家の建て方に学ぶ、生きかたのお作法

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先だって、「日本、家の列島」展というのを見てきました。

panasonic.co.jp

建築のことはぜんぜんわかりませんが、2時間近く集中して見てたくらい、面白かったです。

建築家に頼んで建てたお宅を紹介する展示がたくさんあり、どれも施主と建築家のこだわりが満載でした。

わたしが万が一家を建てることになったとしても、ここまで明確な意図を持って建てられないだろうなーと思いました。
なんせ、美容院に行っても「短くして」とか「ちょっと伸ばしたい」のひとことで、自分のアタマのことを美容師さんにおまかせしてしまう人間です。
ましてやどんな家にしたいのかということは、どんな暮らし方をしたいのかということであり、つまりどんな生き方をしたいのかということでもあるわけです。
家の主が「素敵な家がいい〜!」のひとことで終わってしまっては、建築家は大いに困ることでしょう。
まあ、家を建てることなんて一生ないでしょうけど。貧乏でよかった。


デザイン住宅を建てるひとたちって、自分たちのこだわりを実現することしか考えていないと思っていました。
でも、この展覧会を見て、それはわたしの無知だったということがわかりました。彼らは外のひとたちに対して、ものすごく配慮していました。

通学路を通る小学生が毎日眺めている海を遮らないように建てた家とか、両隣の家の借景を邪魔しないように配置を考えて建てた家とかありました。
大きな窓の家や高床式倉庫のような、一見すると斬新なデザインを重視したように思える家は、実は外部のひとの視界を遮らないように配慮したデザインでもあったのです。

こりゃあ素晴らしい考えだってんで、人間にも当てはまらないだろうかと、家=人間として考えてみました。

大きな窓ガラスを付けて、自分をスケスケにすると、人間関係がよくなることがあるかもしれません(悪くなることも、もちろんあるかもしれない)。
季節の風を感じるような空気の通りのよい家なら、自然体で生きられるのかもしれません。
箱に小さな窓を付けただけの要塞のような家は、ミステリアスなところが、これまたいいのかもしれません。
高層マンションが建っちまって富士山が見えなくなっちゃったよ、とご近所さんにぼやかれるより、自分もご近所さんも通りすがりのひともすてきな眺めを楽しめる家。三方良し。

それでは、今の自分はどうだろうか、と考えてみます。
大邸宅ではないし、デザイン住宅でもない。当たり前ですけど。

住宅密集地で、家と家に挟まれた襖一枚分くらいの間口の家。ひっそり。
と見せかけておいて、ときどき布団をバンバン叩く、てな感じでしょうか。


まあ、どんな家でも狭いながらも楽しい我が家。
自分で建てた家に文句は言いません。たぶん。努力します。

 

今日のBGM:

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