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インスタグラムに1カ月間写真を投稿し続けてみた。

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今年の2月にインスタグラムを始めました。

何年か前にも、インスタグラムのアカウントを持っていたことがありました。でも、自分のなかで「片づけの魔法」がブームだったころに、ときめかなかったインスタも捨ててしまいました。

先だって、わたしがバイトしているコミュニティカフェで、写真のワークショップをしてもらえないかと友人にお願いしました。
「インスタ用におしゃれ写真を撮る」みたいなテーマで頼んだのに、企画した自分がインスタをやっていないというのもどうかなと思ったので、深い意味もなく再開することにしたのです。

久しぶりのインスタは、仕様がいろいろと変わっていました。以前よりもフェイスブックと仲良くなっている感じです。
なので、探さなくともお友達が画面に現れます。おかげで何人かの知り合いとフォローし合うこともするようになりました。

まあ、せっかく再開したので、毎日1枚ずつ写真をインスタにアップすることを3月の目標の一つにしました。

週末になると一眼レフを持って写真を撮りに出かけていた時期もあったけれど、ここのところは、とんとご無沙汰だったのですが、写真、やっぱり楽しいです。

写真を撮らなくなってから目を向けることがなかった道端の花々と、久しぶりに再会しました。
そういえば、数年前もここに同じ花が咲いていたなとか、近所のママたちが丹精込めて世話している花壇も相変わらずきれいだなとか。
たとえ花が咲いていなくても、緑の雑草に木漏れ日が差しているのを見て、きれいだなと思えます。
昭和っぽいお宅や団地になぜか心を動かされます。
時間や心に余裕がなければ見すごしてしまうような存在に敏感になります。何でもないものに目を向けること、敏感になることで、特別でないものが特別になります。

毎日1枚だから、非日常を求めていては、イベントの極端に少ないわたしは撮るものがあっという間になくなってしまいます。

かつてインスタのアカウントを持っていたとき、このTED Talkに触発されて、毎日1枚写真をアップするという同じ試みをしたことがありました。

www.ted.com

案の定、続きませんでした。ここで登壇しているMatt Cuttsさんは「まずは30日間やってみよー!」と言っているのに、わたしは期限を設けずにやろうとしたからです。
持続力がないくせに、どうも自分を過信してしまう傾向がわたしにはあるらしく、一気にゴールを目指そうとしてしまうのです。

今回、1カ月という期限を設けたら、あらびっくり、ちゃんとできました。ひとの言うことはちゃんと聞かないといけませんね。
毎日掃除機をかけないと気持ち悪いのと同じように、インスタの1日1枚は習慣化されたので、毎月の目標から外せることになりました。

さて、当時、1日1枚が続かなかったことのもう一つの原因は、アカウントを非公開にして、ひとりでこっそりやっていたことです。
当時のインスタグラムは、今のように「あなたのお友達もインスタやってますよ」と、おせっかいにも次から次へとお友達を表示させることはなかったので、自ら知り合いを探してフォローし合うこともしませんでした。
非公開にして知り合いともつながないということは、わたしの写真はわたししか見られないということです。当たり前ですけど。
外側からの反応が一切ないなかで黙々と何かを続けられるほど、自分は地道な人間じゃないということです。

「べつに人に見せびらかすためにやってるんじゃないし」という心づもりでいました。「見て見て!」と言うことを、はしたないことだと思っていました。それが失敗のもとでした。

このブログとは別の、むかし書いていたブログも同じです。
何かのきっかけで見ず知らずのひとがアクセスすることはあっても、 知っているひとには知らせずに書いていました。
基本的に自分しか読まないブログは、たんなる不満のはけ口にしかなりませんでした。
今自分で読み返したとしたら、言っていることは分からないでもないけど、だから何なの? という印象をもつでしょう。読み手に何も有益なことがない文章です。

もちろん、自分のために、敢えていいもの悪いものひっくるめて吐き出すという文章があってもいいとは思います。
でも、「んで?」というオチのない文章では、自分にとっても有益なことは何もありません。自分に対して得になることが何もないのです。
多少は思っていることの整理にはなっているかもしれませんが、そこには何の変化もなく、まったく前に進んでいない、というオチとも言えないオチがつくだけです。

アウトプットする先には観衆が必要で、その観衆と向き合うことが必要なんだと思います。
アウトプットは、表現とは限りません。仕事だって同じです。
その先の観衆のことを考えていなければ、結果的に独りよがりになってしまいます。

会社のビジョンやら目指す方向やらが仮にあったとして(ほんとうにあったかどうかは怪しいが)、それが通じないという現象はいやというほど見てきました。
日々の些細な業務でさえ、それをやる意味というものがなかなか共有されないことも多くありました。
わたし自身も「もう、なんでわかんないんだよ、このどアホゥ!」とキリキリしたことが何度もあります。
そうして、どうせ通じないと相手に理解力がないということにして、伝えることをあきらめるようになっていきます。
4月の年度始めには威勢のよかった掛け声は、ゴールデンウィークに突入するころには、しおしおしお……としなびていくことが毎年のパターンでした。

理解されないのはつらい。伝わらないのは自分のせいだと思うことも、ちょいとくやしい。
でも、ほんとうに伝えたいことは、「わからない」と言われようが、そっぽを向かれようが、あの手この手で伝え続けなければいけないのでしょう。

舞台の上から客席に目を向けるその瞬間、ドキドキします。
つまらなそうにしているひとがいるかもしれない。うつらうつらと船を漕いでいるひとがいるかもしれない。
でも、客席から目をそらしたままでは、死ぬまで伝わらないのだと思います。

どうすれば面白がってもらえるだろうか、寝ないでいてもらえるだろうか。
何事においても、わたしはそこを考えていませんでした。わたしの言うことには誰も興味がないのだから、伝わらなくていいやと思っていたのです。
どうやったら興味を持ってもらえるだろうかということに、チャレンジしていなかった。だって頑張っても興味持ってもらえなかったらつらいから。

 

ひとが見るということを前提にインスタグラムに写真を投稿し続けると、構図だってそれなりに試行錯誤します。適当に撮ったものではなく、ヘタクソなりにも「今日の一枚」というものを投稿したいと思います。

自分の書いたものを知っているひとたちに公開するのは、写真よりもドキドキします。でも、客席から目をそらし続けていれば、観衆はいつまでも高いびきで寝続けるのでしょう。

「見て見て!」と言う勇気と、観衆に得をして帰ってもらうためのスキルを養うためにも、今月もブログの更新12回目標でいってみよー!

 

今日のBGM:

www.youtube.com