昨日より今日のほうが幸せだと思ってます。

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東京は寒いですが、明日から4月です。

去年の3月31日に会社を辞めたので、無職生活一周年を迎えます。
職場の皆さんに銀座ウエストのリーフパイなんぞを配りながら挨拶したのが、はるか昔のように思えるのは、この一年が短かったからなのか、長かったからなのかよくわかりません。

結婚しているわけでもなく、家族と住んでいるわけでもないわたしが、どうやって生活しているのか、興味津々の人は結構いるようです。
大きなお世話と思いつつ、気になる気持ちもよくわかります。
今日も「これからお仕事は、どうされ……?」なんて、語尾をごにょごにょとさせながら言われましたよ。

一応現状報告するならば、週に何回かコミュニティカフェを手伝わせてもらいながら、ぼちぼち生きております。
ここ数年はお金をあまり使わない生活になっているので、今のところなんとかやっていけてますが、そろそろどうにかしないとなあとは思っています。
3月の目標の一つに、「今後のことをちゃんと決める」というのがあったのですが、できてません。来月考えることにします。

なんて、最初からこんなのんきなことを言えるようになったわけではありません。去年の初夏ごろは、ときどき不安な気持ちになることがありました。
仕事なんて真面目に探していないくせに、「このまま仕事が見つからなかったら……」なんて急に焦ることもありました。
かと思えば、道を歩いていて急に幸福感に包まれたりして、あの頃はちょっとイカれてたのかなとも思います。
でも、その幸福感には心当たりがあります。

高校生になった頃から、世の中の普通の一員になりたいと思うようになりました。
わたしの思っていた普通というのは、世間の大多数の人という意味でもあり、大多数の人が歩む道でもあり、誰からも「まっとうじゃない」とは言われないであろう生き方のことです。

高校にあがるまでは、普通がいいなんて思いませんでした。奥手な子どもでしたし、そもそも部活と塾に忙しい「普通」の中学生でもあったからです。
でも、高校生になってからは、何をやってもうまく噛み合わなくなって ―それはわたしのこらえ性のなさが原因だったりするのですが― まあ、そんなこんなでだんだんと「普通」からはズレていきました。

一応言っておきますが、わたしが特別な人間だと言いたいわけではありません。感受性の高い芸術家タイプで、普通の中にはいられないということではありません。
それどころか、ごくごく普通の、「普通」という観念に失礼なくらい、これといったものが何もない人間です。
それでも、世の中の普通の一員でいたかったのです。「普通丸」という名の船の乗組員に、甲板員でいいから乗せてほしかったのです。

多少時間がかかりましたが、わたしはなんとかその「普通丸」の乗組員になることができました。
乗組員になった後は、与えられた仕事を真面目にこなしました。船に乗り続けられるように必死でしたし、台風のときは甲板から振り落とされないようにするのも大変でした。

でも、船にしがみついていながらも、わたしには、目的地がありませんでした。
必死で探したこともありましたが、結局、納得のいく場所は見つけられませんでした。「ここかも」と思ったところもありましたが、よくよく自分を観察していくと、どうやら虚栄とかうわべのかっこよさとかに振り回されているようでした。

一年前に、わたしはものすごく適当なところで下船しました。
地球の歩き方』には、「通関を出て左に両替所がある」とか「ポーターのチップよこせよこせ攻撃に注意!」とか書かれていますが、何も読んできていないので右も左も分かりません。
ホテルは予約していないし、下調べもぜんぜんしていないから、バスや電車の乗り場もわかりません。 
ただ、船から降りた解放感だけが、わたしのなかに充満していました。

この一年なにをしていたのか? と問われたら、「なにもしていません」としか答えられません。
敢えて言うならば、「やりたくないことをしない」ということをやっていたと言えるでしょう。乗組員として認めてもらうためにしていたやりたくないことをしなくなったのです。

こんなことを書きながらも、「所詮、なんとかなると思っているやつはダメだ」とか思われないか気にしています。
無職の独身女が、こんな消極的な態度でいつまでもぶらぶらしていることは、普通に考えたら確かにヘンです。
でも、しがみつくだけの乗組員に戻ろうとは思いません。それどころか、昨日の自分にすら戻りたいとは思いません。

過去を思い出して、よく自分があんな状態で生きていたなと思うことがあります。現実にはそれで大丈夫だったから、今こうして生きているんでしょうが……。
たとえ、昨日はおいしいご馳走をいっぱい食べて、今日はご飯とお新香しかなかったとしても、今日の方が幸せです。
どうしてそう思うのか、よくわかりません。
過去は良くも悪くも劣化していくもので、未来は誰にもわからないものです。
それに対して、今の今は、泣いても笑っても、つらくても楽しくても、元気でもインフルエンザになっても、確かに生きている。そのつらさも楽しさも実感できるから、今が幸福だと思うのでしょうか。
ちょっとうまく説明できません。
過去を振り返ることや、未来を予測することは結構な体力・精神力を使うからということだけかもしれませんし。

ということで、もう一つの3月の目標「ブログを月に12回書く」が達成できませんでしたが、過去を振り返らないわたしは、未来に希望をかけて引き続き来月に頑張ることにします。
ああ、ごほうび(『騎士団長殺し』)が遠のいていく……。