ここで待ってても東京駅には行きません。

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「ちょっと、そこのおねえちゃん。新宿まで行きたいんだけど、どっち行けばいいんかな」
エスカレーターを降りたとき、こんな女性の声が聞こえた。
目の端でとらえた限り、声の主と思われるひとの近くにはほかのひとがいたから、わたしに話しかけられているとは思わなかった。それに、昭和生まれのわたしは、とうの昔に「おねえちゃん」ではなくなっている。
「わたしに話しかけられているのではない」と確信したわたしは、すたすたと目指す方向に歩き始めた。ところが、「おねえちゃん、おねえちゃん、ちょっとちょっと」と声が追いかけてくる。
もしかして、わたしに話しかけてます? 面倒くさいという黒い気持ちが胸いっぱいに広がりつつ、キッと振り返った。
そこには、やや個性的なファッションだけど、顔を見る限りは至極まっとうそうな50〜60代と思われる女性がいた。

新宿って言われても、ここは六本木ヒルズだ。まさか新宿まで歩いて行くわけじゃなかろう。「新宿に行くには、どの駅から電車に乗ればいいか教えてくれ」が正しい質問のしかたなんじゃないの? と思った。
なんで近くにいたひとじゃなくてわたしに訊くのかという疑問や、このフランクすぎる口のききかたや、あまりにも手抜きな質問におののきながらも、わたしは 「とりあえず六本木の駅に行きたいということでいいですか?」 と返した。すると彼女は 「うーん、たぶんそう、……かな」 と歯切れが悪い。
来るときはどこから来たんだよ。駅っつったって、六本木以外にもいっぱいあるんだよ、とイラッとしながらも、
「ここをまっすぐ行けば、地下鉄の駅に降りる階段がありますよ」
とわざと無表情で教えた。
「ありがと、ありがと」と言いながらせっかちに去っていく彼女の後ろ姿を見ながら、ほんとうは、新宿までの行き方がわかるかどうかを訊いてあげるべきだっただろうなと思った。
でも、その話をするとややこしくなりそうで、訊かれたことだけ答えるにとどめてしまった。ごめんね、おばさん。

 

「ここで待ってれば東京駅に行ける?」
「◯◯町5丁目21はこのあたりかしら?」
「スミーマセン、ワタシワァ、イケブクロゥニィ、イキターイデス」
「いま、何時ですか?」

ここのところ、毎日のように赤の他人にいろいろな質問をされる。いつも仏頂面しているわたしに、親切にさせようとする理由がよくわからない。
若い頃からなぜか外国人に道を訊かれることは多かったが、最近は外国人1割、日本人9割と日本人率が高まっている。外国人に優しい観光立国ニッポンになったから外国人に話しかけられることが減ったのか、日本の高齢化が進んで迷える高齢者に話しかけられることが多くなったのかはよくわからない。

サービス精神のほとんどないわたしに道やら電車やら時刻やらを訊いて、後悔するひとは多いだろう。 わたしの虫の居所次第で、彼らの行く末は決まる。そして、残念ながら、虫の居所は悪いときのほうが圧倒的に多い。
訊かれたことにしか答えないし、クローズド・クエスチョン(YesかNoで答えられる質問)に対しては、YesかNoかでしか答えない。知らないことは知らないとしか答えず、一緒になって調べてあげることもほぼしない。おまけはいっさい無し。駅員さんとかおまわりさんとか、駅探とかグーグルマップ様に訊けよ的な雰囲気まで匂わせてしまう。

丸ノ内線新宿三丁目駅で「この電車は池袋まで行きますか」と問われて、「行きますよ」と答える。嘘じゃない。本当に行く。でも、違うルートのほうがはるかに早い。
新宿三丁目から池袋に行くには、副都心線を使えば10分もかからないが、丸ノ内線に乗って行くと40分近くかかる。近いはずの池袋にはなかなか着かない。
いつかこんな意地悪をしてみたい。

こんな不親切で性格の悪いわたしだけど、虫の居所に関係なく、自らひとに親切にしようとすることがある。
それは2つの場合に決まっていて、誰かが持ち物を落とすのを目撃したときと、重い荷物を持って駅の階段を上がろう(または降りよう)としているひとがいたときだ。
落とした物を拾ってそのひとのところに持っていくとか、「荷物をお持ちしましょうか」と申し出ることを、考えるより先にやっている。 
なぜこの2つなのかは、たぶんそのひとが困っていることが明らかだからだと思う。
この親切は単なる気まぐれなので、お礼を言われまいが、申し出を断られようが、一向にかまわない。寅さんのようにかっこよく立ち去るのだ。

正しいことかどうかはわからないけれど、親切って気まぐれでもいいんじゃないかと思う。気まぐれには下心がないから。
義務感からの親切心では、その行動を認めてほしいという期待を持ってしまいそうだ。
お礼を言われなかったりすると、「なによ、せっかくやってあげたのに!」と相手を悪く思ってしまうかもしれない。「ありがとう」という言葉を強要することになる。これでは他人にも自分にもいいことはない。

いつもいつも親切なひとでいようとすることは、少なくともわたしには無理だ。
親切であろうとすることを自分に課してしまうと、それができない自分をダメな人間だと思い、そこに無駄なエネルギーを使ってしまいそうだ。

だから、下り方面のホームで「東京駅に行きますか」というクローズド・クエスチョンはしないでください。仏頂面の「行きませんけど」という答えが返ってくるだけだから。

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