読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちゃんと見(観)よう。

f:id:utsubo_lab:20170324213726j:plain

なぜ、あることをやるためには何かを犠牲にしなければならないと、人は思うのでしょう。

仕事をとるか、家庭をとるか。
言いたいことを言わないでいい人でいようとするか、言いたいことを言う代わりに嫌われるか。
我慢して就職するか、好きなことのためにフリーターになるか。
トレードオフっていうんでしょうか、こういうの。 なぜ、どちらも可能だと思えないのでしょうか。
実際に行動に起こす前から、こっちを選んだらこうなる! と決めつけて、人はうだうだと悩んでしまいます。もちろんそうじゃない人もたくさんいるとは思いますが。

かつての職場に、「有休をとりたいけど、なかなか休めない」といつも言っている人がいました。べつに休めばいいんじゃないかと思うんですが、「休んだら迷惑がかかる。だから休めません!」となかなかに頑固でした。
迷惑がかかるかどうか、そんな未来のことなんてタイムマシーンに乗らない限り、わたしたちにはわかりません。
もし迷惑がかかると思っているのなら、迷惑がかからないように段取りしとけばいいじゃないかと、無責任なわたしはそう言ったのです。そうしたら、「この仕事はわたしにしかわからないから無理!」と言われました。もう知らん、と思いましたわ。
迷惑をかけない、かつ段取りもしないで休める隙きをねらっていたら、死ぬまで休めません。彼女は、休む=迷惑がかかる、自分の仕事=自分だけでやるべき、という図式に取りつかれていたのかもしれません。

自分の夢を実現させる=恋愛はあきらめなければならないという図式も、古典的ながら根強いような気がします。ものすごく古いですけど、「木綿のハンカチーフ」的な?
でも、このような展開の物語に感情移入する人が多いのは、皆さんやはり似たような経験をしたことがあるからでしょうか。
残念ながら、わたしはこの手のお話には心が動かされません。夢も恋愛もゲットしたスーパーウーマンだからです。

 

というのはもちろん嘘で、わたしが感動できないのは、ものごとの選択にそこまで葛藤したことがないからです。
べつに決断力があるというわけではありません。夢を本気で追いかけたこともなければ、この人と絶対に離れないわ! と思うほどの情熱的な恋愛もしたことがないだけです。せいぜい、モンブランとアップルパイのどちらにするか、情熱的に迷うくらいです。

少し前までのわたしは、葛藤なんかせずに、一つ一つ潔く選択・決断してきた人間だと思っていました。でも、どうやらそうじゃなかったようなのです。

人生経験というものは、どれだけ感情が動かされたかということに尽きるのかもしれない、と最近思います。
他人からはどんなに波乱万丈な人生に見えても、本人がその波乱万丈な何かをただの経験として経験しているのであれば(ちょっとややこしいですが)、その何かはその人の中をただ通過しただけなんじゃないかと思うのです。右から左に。

特別に劇的な経験がなくても、自分の中に湧き上がった感情を無視しないで生きてきた人は、なにか違うんです。
とくに子供の頃からきちんと自分の感情と向き合ってきた人には、「まいりました」と思います。抱いた感情を表に出す、出さないには関係なく、自分のなかで温めてきただけであってもです。
「違う」とか「まいりました」なんていい加減な言葉ですませないで、もうちょっとちゃんとした言葉で表現できればいいのですが、こういうことが、感情に向き合ってこなかった人の成れの果てなのです。

ちょっとうろ覚えですが、インドでは、恐れに形を与えるということをしてきたらしいのです。だから、神様がたくさんいるというのです。
それに対して、わたしは恐れを形にするどころか、見ないようにしたり、なかったことにしたりしてきたわけです。
その結果、感情というものが退化していきました。使わない筋肉は衰えるように、感情も使わなければ衰えるようです。そこになんらかの心の揺れがあることに気づかなくなり、心が揺れることそのものがなくなっていくのです。
そうして、感動する力も共感する力も失っていったのです。
だから、本を読んでも映画を観ても絵画を眺めても、何もキャッチできない。せいぜい落語で笑うくらいです。

 

これを観て、「号泣した」という声をけっこう聞きました。
わたしはもちろん、ひとつぶの涙も出ませんでした。それどころか、観ている間、どうでもいいことばかり考えていました。
この人はアメリカ人なのに、なんでお腹が出ていないんだろうとか、フリーターなのになんでプリウスに乗ってるんだろうとか、そもそもこれは真面目に作られたものなのかそれともギャグなのかとか、寝不足だから眠いなあとか。

あ、一つだけありました。
彼らが「消費者」ではなく「提供者」であろうとしたことは、どうかどうかそのまま頑張って続けてください、と思いました。
「提供者」とは、人によっては「リーダー」とか「クリエーター」という言葉で表せるかもしれません。常に受け手でいるのではなく、自分で選んで、動いて、出していくという人だとわたしはとらえています。
そうあろうとした彼らに、ちょぴっとだけ共感したのです。でも、彼らがセンチメンタルになっちゃうところには、ちょぴっとイラッとしましたが。

 

ということで、もう観た方も多いと思いますが、「ラ・ラ・ランド」。
自分の感情をちゃんと見てきた人は、この映画をどう観たのでしょうか。

gaga.ne.jp