部長、会社やめるってよ

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「きみは口と脳みそと直結してるから、これ以上出世できないよ」

まだ会社で働いていたころ、上司であるサカキ部長にこう言われた。
目標管理の面談だったか、賞与のフィードバックだったか忘れたが、割りと唐突に言われたのを覚えている。今まで話していた文脈とはあまりつながっていなかったからだ。

サカキ部長は、親会社から出向してきた。片道切符であることは、本人も分かっていただろう。2年後には、うちの会社に転籍となった。
親会社には、55歳で役職定年というのがあり、平社員としてそのまま残るか、子会社に役職者として移るかの選択をしなければならない。
だが、彼は55歳にはなっていないのに、出されてしまったようだ。しかも、エリートと言ってもいい経歴なのに。

東大で修士課程を修めた後、入社。研究所に配属され、アメリカで客員研究員も務め、途中で博士を取得し、云々……。都内のある大学院で客員教授もしている。
タイプとしては、天才肌ではなく、どちらかと言うと努力家である。

まだ部長と机を並べていたとき、右側に座るその人についてときどき考えた。
大きなお世話だが、「立派な経歴なのに、なんでこのひと、うちの会社に出されちゃったんだろう」などと考えていた。
東大を出たって、博士になったって、そのひとを活用しない会社ってなんなんだろうと思った。

わたしが言うのも生意気だが、サカキ部長は出向者の中では抜群に仕事ができた。
天下り族の中には、あと5年、平穏に過ごせればいいという気持ちが見え見えのひとも少なからずいる。良くも悪くもしない、現状維持を貫こうとするのだ。
子会社なんだから、あまり儲けを出すべきではないと言うひとたちもいた。
だが、サカキ部長は、そうではなかった。既存の事業は、もっと大きくしようとしたし、積極的に新しいことも始めていた。

いつも忙しそうにしていた。昼食に出たと思ったら、10分足らずで戻ってくるし、夜は最後まで会社にいることが多かった。
会社の仕事と大学教授をかけもちしているのだから、限界を超えてしまったのだろうか。少々メンタルをやられていたと、後日談として本人がカミングアウトした。

 

日本が学歴社会ではないことがわかったのは、社会に出てしばらくしてからだ。
新卒の時点では、学歴を重視される。就活中に「きみの大学からは採用したことがないんだけどねえ」とある企業で言われたことがある。当時はわたしもまだうぶだったので、なにも言い返せなかった。
くやしいというより、そんな露骨なことを言われることにびっくりした。
目の前でバブルがはじけ、ベビーブーム世代でもあることに加え、なんの取り柄もない四流私大の学生にとって、就活は苦行だった。
なのに、いったん会社に入ってしまえば、どこの学校を出たかなんていうのは、一部を除いてあまり関係なくなっていく。それは決して悪いことじゃないとは思う。

「日本って学歴社会じゃないですよね」と飲み会の席で部長に言ったことがある。それに対して部長は激しく賛同し、こう言った。
「俺は言いたいことを言いすぎた」

 

「部長、3月末で会社やめるそうですよ! 波紋を呼んでます!」
前職の後輩からLINEが入った。
ああ、やっぱりやめるんだなと思った。思っていたよりちょっと早かったけど。

去年、わたしが退職の意向を部長に伝えたとき、彼は「俺もやめたい!」と言っていた。
笑いながら冗談のように言っていたが、あながち嘘ではなさそうだと感じた。日ごろから、研究に専念したい、論文書くのが大好きだとも言っていたし。

サカキ部長に、脳みそと口が直結しているから出世できないと言われたとき、なんでこんなこと言われないといけないんだろうと思った。
わたしはちゃんと仕事をしている。査定はこんなによくしてくれている。査定したのは部長でしょ。なんで、そんなこと言うの。

わたしは中途入社者の中では、ある程度のところまで上がるのは早い方だった。だが、その後は、一人二人と気がつけば追い越されていた。
明らかに仕事のできないひとが出世していった。いや、そうじゃない。仕事ができないように、わたしには見えただけだ。それはわたしの尺度でしかない。
わたしは仕事で成果さえ出していればいいと思っていた。上にへつらう必要なんてないと思っていたし、そんなことはごめんだとも思っていた。

きみの尺度はこの会社では間違っている。出世したかったら、脳みそと口を断絶させるんだ。
部長、そういう意味だったのですか。
それともそんなのはただの深読みで、口の悪いわたしに対して、日頃の恨みを晴らしただけですかね。

 

サカキ部長は、4月からうどん県の大学に赴任することになったそうだ。
給料はまだ決まっていないが、うどんで食いつないでいけばなんとかなるだろう、などとうれしそうに話しているらしい。

どうしてだろう。部長の門出が素直にうれしい。
「言いたいことを言いすぎた」結果、彼は会社を追い出されたかもしれないが、そこには後悔や恨みはなく、かといってきれいごともない。
淡々と自分の進みたい道を歩んでいくところに、わたしは共感するのだ。

 

「“おめでとうございます”って伝えといて」と後輩にLINEの返事を出した。
もう一つ言いたいことがあるけど、それはいつか会ったら直接言おう。
脳みそと口を断絶させる気はありません、と。

 

※登場人物の名前は仮名です。