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わたしはなんとも思ってないんです。他人の目が怖いだけなんです。

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ついこの間冬になったと思ったら、もう立春が過ぎたらしい。とはいえ、寒風吹きすさび、春が立ったような気配はまったくない。

冬はごちそうの季節だ。だがわたしは冬になっても、クリスマスケーキやローストチキン、お節お雑煮の類は食べていない。したがって、七草粥だってもちろん食べなかった。365日節制しているからお粥で養生する必要なんかないのだ。
恵方巻きとかいうものを食べなかったのは、東京人としてのプライドだが、それ以外の季節のごちそうを口にしなかったのは、ひとえにわたしが孤独だからである。

わたしのほかにかろうじて猫がいるという一人と一匹暮らしの狭い我が家で、5号だ6号だのサイズのクリスマスケーキを買ってきたところで、現実的に困る。胃もたれしてわびしさがつのるだけだ。

うちの近所に気のきいたカフェがあって、予約をすれば1〜2人用の小さなお節を用意してくれるらしい。昨今の社会事情を考慮したすばらしい取り組みだと思うが、わたしにしてみれば、お正月だからといって、べつに好きでもないお節を無理して一人で食べる必要はない。パンとコーヒー、そしておにぎりとお味噌汁があれば幸せな人間なのだ。

クリスマスに一人でいる、もしくは友だちといる、あるいは家族といるということが恥ずかしい時代があった。バブル真っ盛りの、もう20数年前のことだ。 クリスマスは彼氏とステキなお店で食事をし、高級ホテルに宿泊するということが、世間的には若者としてまっとうとされていたようだった。
堅実な若者が増えてくれたおかげで、今やクリスマスに仕事をしていようが、一人でいようが、お母さんといようが、何をしてもある程度まっとうだと認められるようになった。いい時代だ。

だが、お正月に一人ぼっちでいるというのは、今も昔もちょっとばかし特殊なことなんじゃないだろうか。クリスマスと違ってとびっきりの祝日だから、サービス業のかたを除いて、仕事をしなきゃいけないということもめったにない。必然的に家にいるとかハワイに行くとかしないといけない日なのだ。
そんな日に一人で家にいるというのは、本当に孤独な人間だと思われてしまう。家族もいない、親戚もいない、彼氏もいない、友達もいない、の四拍子。

詳しい事情は紙幅の関係があって(いや、ないけど)割愛するが、わたしが一人の正月を過ごすのは、今年で3回目か4回目だ。
やってみればなんてことはない。ただ、困るのが、正月明けに誰かに会ったときに「お正月はどこか行ったんですか」などと余計なことを訊かれたときだ。引きこもっていたことを正直に言うのだが、それで会話が終わらないで「実家に帰ったんですか」とか「ご実家はどちらで」なんて訊かれると、はあとかへえとか言ってお茶を濁すしかない。
説明すると長くなるし、話したところで、相手はどう返答していいかわからず、かえって気を使わせることになるからである。

なんて、さも相手のことを思いやるようなことを書いているが、そんなことより「このひとは孤独でカワイソウなひと」と勝手に思われるのがいやなだけなのだ。
わたしもそうなのだが、人間というのは自動的に頭のなかで相手のことを類型化する。
頭のいいひと。頭の悪いひと。すてきなひと。すてきじゃないひと。やさしいひと。やさしくないひと。役に立つひと、立たないひと……。

ずっと昔、祖母と箱根に行って、あるホテルのレストランに入って昼食をとることになった。湖畔にある、ステキ系のホテルだった。
レストランに入ると、窓際の席に40歳くらいのキャリアウーマン風の女性がひとりで食事をしていた。そんなの珍しい風景ではない。だが、祖母にとっては珍しい風景だったようだ。
「あら、あのひと、ひとりだわよ!」 と祖母は、ひそひそ声にもしないで言い放った。
ちょっと! 聞こえちゃうでしょ! 失礼でしょ! 今は女性ひとりで海外旅行に行く人だってたくさんいるの。むしろひとり旅は女性の方が多いかもしれないよ、ということを祖母に言っても、さっぱり理解できない、納得しかねる、というか人の話をまったく聞いていないのが明らかな顔をしていた。
明治生まれの祖母にしてみれば、女ひとりで旅に出ることはもとより、ひとりでレストランに入ること自体が、びっくりなことなのだ。しかし、彼女は歌舞伎は一人で観に行っていたが、それはOKなんだろうか。

おばあちゃんにおひとりさま呼ばわりされた女性の心境を思うと、つらくなる。だって勝手にかわいそうに思われて、「いえ、わたしはぜんぜん平気なんですよ」と言ったところで、まったく聞き入れてもらえないからだ。「あらら、強がり言っちゃって」などと思われるだけだ。

「他人の評価を気にしない」などと「生きづらいあなたへ」なんてテーマでよく書かれているが、そんなの無理だ。
ひとの評価を聞き入れなかったら、人間として終わってしまわないだろうか。終わってしまわないほど、人間は強いのだろうか。
「自分は自分」という気持ちだけで努力してすばらしい人間になれるほど、人間は優れていないんじゃないだろうか。少なくともわたしはそんなことはできない。
ひとから「美人だね」とか「仕事デキるね」などと言われれば、あからさまなお世辞であってもうれしいんじゃなかろうか。猫ですら「かわいいね」とか言うと、寝っ転がりながら体をクネクネさせて、うれしいダンスをしている。それだって他人の評価なのだ。

だから、世の中のマジョリティとは違う環境に生きて、かつ「自分は自分」なんて強さもないわたしは、世間の押しつけがましい同情の目に必死に堪えて生きていかなければならないのだ。
そうして、人間は強くなっていく。