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5千万円の茶碗と「いいから黙ってやる」ことの関係性

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わたしは昔からいろいろなことに
「なんでかな?」と思うんですね。
たとえば
「これは家元のお茶碗だから5千万円します」
とか言われても、その理由がわからない。
そこをわかりたいと思ったんです。

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ほぼ日の糸井重里さんとの対談で、料理研究家の土井善晴さんがこんなことを言っていた。

私はどちらかというと「なんでかな?」と思わないほうだ。

仕事とか自分のやりたいこととかを考えるときとか、そういうときは考える。
「私はなぜこれをやりたいのだろうか?」てなことを無駄に考えすぎて、何もできなくなるなんてことになるのが関の山だけど。

 

「なんでかな?」と思わないのは、相手がプロだと思ったときだ。

土井さんが言う「家元の茶碗が5千万」の文脈がここではわからないが、世間的に信頼されている鑑定家がそう言ったのなら、私は何の疑問もなく「そうなんだー」と思う。

落書きにしか見えない絵でも、100億円の値がついていると言われれば、なんだかよくわからないけど、私の中で「素晴らしい」ことになる。
「こんなの私でも描けるんじゃね?」なんて一瞬でも思ったことをすっかり忘れ、「ほほー」なんて絵の前で感動(エセ)したりする。

 

とはいえ、プロなんだからお任せしますということを貫いていると、とんでもないことが起きることもある。

「あれっ?」と思うようなことがあっても、
「この人はプロなんだから、この行動には何か理由があるに違いない」と思って、私はひたすら黙っている。

そうして、釣り銭を間違えられたり、頼んだカレーライスがいつまでたっても来なかったりするという目にあうことになる。

 

ところで、土井さんの言う「なんでかな?」と思うことと、素直であることって相反することなのだろうかということがすごく気になる。

探究心は大切だということ、素直が大事ということ。どちらも耳にする。

事だったら、何の疑問も持たずに、言われたことだけをやるのがいいのか、何のためにするのかを気にしながらやったほうがいいのか。

「いいから黙ってやれよ、だからゆとりは……」などと昭和的なことを言う人がいる。 
「なぜ、それをするのか」という疑問をいつも持っているべきだという人もいる。

みんな好き勝手なことを言わないでほしい。どっちが正しいのか、アホにもわかるように説明してほしい。

 

仕事のやり方を教わるときとか、学校の勉強や習いごとなんかで人に教えを請うようなときに、「なんでかな?」と思うことはいいのか悪いのか。
こんなことが、なんだかずっと気になってしょうがない。

教えてくれる人が、「Aという理由からBをする必要がある」という関係性を示してくれて、それに自分が納得すれば、問題ない。

ところが、その「A」が納得できないとか理解できない場合が悩ましいのだ。

その場合、

(1)     とりあえず「B」をある程度し続けてから考える
(2)     自分が「A」をガッテンするまで突き詰める
(3)     「B」を放棄して自己流でやっちゃう

というパターンがあると仮定する。

 

一般的に受け入れやすいのは、(1) なような気がする。
「まずがやってみる!」ということ。なんだか優等生的だけど。

(2) は教えてくれる人が、「ほほー、面白い視点だね」とか言えるオトナな人間なら、その人と切磋琢磨することができるかもしれない。
仕事だったら、意味のないルーチンをしなくてもよくなるかもしれない。

だけど、相手はすでに持論を持っているから、「生意気だ」とか思われるかもしれない。
正直言って、私も自分が教える立場だったとき、こういう人にイラッとしたことがある。
正しいだけに、よけいイラッとして相手の正しさを認められなくなってしまうのだ。

こういう状態になると、どちらもムキになって、だんだん相手を論破することが目的になってしまう。

(3) は、頭がいい人だったり、能力のある人だったりすれば、うまくいくかもしれない。
「大学の授業なんか意味がない!」とか言って学校やめちゃっても、何かしらで成功している人とかいるもんね。
私みたいな凡人は玉砕するのがオチなので、やめたほうがいい。

 

でも、言われたとおりのことをやっているのに、うまく習得できないこともある。
私の場合、そんなときになぜか (3) に行ってしまうことがある。 

自分の踏ん張りどころが見極められずに、客観的に見てもまだ早い段階で、
「このやり方ではダメだ」と勝手に結論づけてしまう。
そして、自分のなすべきことが足りていないという事実を棚に上げて、安易な方向にぴゅーっと流れていってしまうのだ。 

できないことを、自分じゃないもののせいにしているから、こういうことになるパターンが多いような気がする。 

イカンイカンとは思うのだが、そういうときに限って、(3) に近い情報ばかりを目にする。こういうのを「引き寄せ」っていうんだろうか。

 

時間がなくなってきたので、ここで勝手な結論。

やってみたほうがいいと感じることとか、やってみなければわからないことは、命にかかわらないことならやってみる。

とはいえ、納得した上でするほうがいいんだろうから、納得したければ、そのあたりを明確にしてみてからなのはいいんじゃないかと。

 

5千万円の茶碗を、納得できるまで触ったりするのは怖いのでやめたほうがいいんだろうな。