踏ん張りがきかないと怒りの側に振れてしまう。

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怒るのが好きな人っているんでしょうか。私自身、好きかもしれないという心当たりがあります。

以前、正しいことを怒りを伴いながら言っている自分に酔ったことがありました。そのとき、明らかに快感なんですね。
自分の気持ちに敏感な人なら、そのときに気づくかもしれません。ですが、超ド鈍感な私は、2〜3年たった今、やっと気づきました。
たぶん、ドーパミンだかアドレナリンだか分かりませんが、そこらへんが分泌されて気持ちよくなっちゃったんでしょうね。
こういった類の怒りは気持ちいいから、あとになって恥ずかしい思いをする、ということを除けば、自分的には実害は少ない。他人様に対してはやや迷惑ではありますが……。

 

これとは違って自分でも「ああ、なんでこんなことで怒ってるんだ自分!」と思うような怒りが多いのが、私の悩みです。楽しくないだけですから、ぜひともやめたいのです。
でも、「やめられないとまらない」です。依存症というわけではないとは思いますが、もう長年しみついてしまって、こすってもたたいても落ちない癖です。
いったい、いつどこでこんなものがしみついたのかという原因究明もしてみました。そして、これかもという原因も見つかりました、というか勝手に原因だと決めつけましたが、今度はその原因に対して怒ってしまうのです。怒りのループです。
どんだけ怒るのが好きなんでしょうね、自分!?

 

今日も道行くおじさんに怒りました。もちろん心のなかで、です。
私が道の左側を歩き、おじさんは右寄りを歩いていましたが、私の行く手を阻むようにおじさんはだんだん左に寄ってきてしまいました。私はまっすぐ歩けずに、おじさんを迂回せねばならなくなりました。
ただ、それだけのことです。なのに、私はおじさんを心のなかで「まっすぐ歩け、このじじい!」と罵倒しました。
いやー、疲れますよ〜、こんな自分。当たり前ですけど。

 

そんなおじさんに魂で罵倒した後に、ある本屋さんに入り、ある雑誌を手に取りました。その雑誌に、
「みんな自分で壁をつくって、自分でその壁にぶつかって、その痛さを楽しんでいる」
というようなことが書かれたコラムがありました。

それを読んで、私は自分の思う「正しさ」という壁を高く高く築いているような気がしました。
道はまっすぐ歩かなければならない、他人の行く手を阻んではならない、他人に迷惑をかけてはいけない……。
自分がその壁をつくっているから、その壁を持たない他人に腹が立つのです。

自分なりの正しさを持つことは決して悪いことではありません。ただ、人間はそれぞれ違う。あることに対して、私は「ダメ」と思っていても、他人は「ダメ」とは思っていないかもしれない。
他人と何かしらの関係性をもつところにいる限り、なにがダメでなにがいいのかは、私一人が決めることでもなく、ましてや押し付けることでもありません。ただ、自分と違う人がいるという事実だけがそこにあるのです。

 

などとわかったふうなことを書いておりますが、イラッとするのはやめられず。イライラする暇があったら、あれもこれもしたいのに。

 

ここまで書いてきて、結局は、道にいたおじさんに対するのと同じ種類の怒りも快感なんだと気づきました。冒頭に書いた「私は正しい」という快感と同じです。もっと具体的にいうと、私は他人のことを考えて行動しているから正しい、と私は思っているようです。
それを人に強制するから、イライラするんですね。人の迷惑、周りが見えていない、自分勝手、気がきかない、などなど。口数は少ないくせに、悪口は出るわ出るわ途方もなく。

 正しさは一つじゃないことを認識するとか、フラットにものごとを見るとか、いろいろと解決策は巷にあふれかえっていますが、それだけに集中して踏ん張っていないとすぐに怒りの側に振れてしまいます。

「今は絶対にこの本を集中して読むのだ」
と自分に言い聞かせたら、うまくいったことがあります。しかし、それは電車の中のことでした。本を読みながら歩くわけにはいきません。

 

ということで、「時間の無駄!」をその場で発動させる以外、未だよい解決方法は見つかっておりません。

私の中にある感謝の気持ちの総量が、日本人の平均より少ないことはうすうす感じていて、それが高い壁をつくっている原因のような気がします。自分は人の世話にならず、迷惑もかけず生きていると思っているわけです。
人からされたよろしくない(と自分が思っている)ことは、いつまでたってもネチネチと覚えているくせに、何かしてもらっても感謝はその場限りですぐ忘れちゃうという私の思考回路をどうにかせねばなりません。
ということで、一度、思いっきり人に迷惑をかけたり、思いっきり世話になったりするといいのかもしれませんね。 

インプットは楽なんだから、それだけやっていればいいのに。

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 ここ2か月ほど、いろいろと追われることがあり、私にとって娯楽といえる種類の本をほとんど読んでいませんでした。

が、やらないといけないことを珍しく前倒しにした結果、クリスマスを前にぽっかりと時間ができ(もちろんクリスマスに予定があるわけでもなく)、ものすごく久しぶりに自分の楽しみだけのための本を何冊か読みました。

大学生でもある私は、学校の教科書だったり、レポートを書くための文献だったり、そのたぐいの本を読むのに忙しかったこの一年。

気負わずに本を読むということの楽しさを久々に味わいました。

インプットしたまんまというのは、楽しいです。楽(らく)です。
一生こんな生活できいたら楽しいだろうなと思います。

いや、できないこともない。というか、普通にできそうです。
9時から17時まで仕事して、日常生活に必要なことをこなして、あとはインプットの時間に充てる。

 

これ、実際に私やってたじゃん! と思いました。

でも、なぜかやめてしまいました。 

安定を目指していたはずなのに。
楽チンを目指していたはずなのに。
なぜか自らやめしまいました。ふしぎー。

 

私にはいろいろなやめ癖がありますが、楽チンすらもやめてしまうのは、いったいなぜなんでしょう。

「なぜなんでしょう」なんていっても、人間のしくみのことですから、脳科学とか神経生理学とか心理学とか、そういったことが関係あるのかないのかもわからない私が考えたところで、おいそれと解明できるものではないのでしょうけど。

でも、なんとなく思うのは、人間はやっぱりアウトプットがお好きなのだろうということ。

アウトプットといってもピンからキリまでありそうですが、ピンでもキリでも外に出せば、文字通り立派なアウトプットです。

たとえば、サラリーマンのおじさんの昔話自慢なんてのも、まさにアウトプットなんだなーと思います。

私、前職では社内研修で講師のまねごとのようなことをしていましたが、最初はおとなしい受講生も、ちょっと慣れてくると人の分までしゃべってましたから、やっぱりアウトプットが好きなんですね。
といいつつ、時間を気にする小心者の私は「いいよいいよ、出しちまいなさいな」とは思ってあげられなかったのですが。すみません。

そんな感じで、いつどこでなにをアウトプットするかということを、人間は今か今かと待ち構えているんじゃないかと思うのです。
アウトプットしたくてうずうずしているのです、たぶん。

という人間の習性から、私もインプットだけの人生には飽きてしまって、それを放棄してしまったのかもしれません。

私はここ2か月前に、このブログとは違うところで、文章でアウトプットすることを始めました。
ほんと、これ修業です。
アウトプットはつらい。つらくならなくなるまでがつらい。いや、楽しくなるときがくるのだろうかと不安になり、やめたくなります。

 

私はしゃべることがあまり得意ではありません。
口からのアウトプットできなければ、後はなにが残されているでしょうか。

方法は種々様々あるでしょうが、美術や音楽などの芸術系は、私にとっては論外です。
書道もできない。料理もダメ。
ほかにもいろいろありますが。
可能性として残されたのは、文章で表現すること。

それでも、書くことのセンスがあるかといわれれば、なんともいえません。
世の中には猛者がゴマンといますから。


細かいことにとらわれて、結果的につまんない文章になりがちなんですね、私の場合。
テクニカルライターをしていたのと、それから性格もあるでしょうか、なんだか味気のないものになりがちです。
論点がずれていないかとか、表記上の問題がないかなどといった推敲をしすぎてしまい、勢いがなくなってしまうんですね。
それなのに、後々見てみると、論点がずれまくっていたり……。
心にもないことを書こうとするからずれるのであって、本当のことしか書かなければずれようがないわけで。

このブログでは、そんなことを一切気にしないで書きたいです。
でも、もちろん皆さんにおもしろいと思ってもらわなければ、公開する必要もないわけで。
やはり読んでくれる人を意識したい。

ただ、評価をあまりに気にしすぎると結果的に面白くなくなるのが私の傾向でして。
私の100%の勢いで書いて、それが面白いと言われるようになるために、私は日々修行しているのですね。

 

うーん、でも、なんで修行なんかしているんだろう。やっぱりふしぎー。 

2016年クリスマス ブログ始めました。

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うつぼラボ室長の、うつぼでございます。

 

クリスマスに興味はありませんが、キリがいいので本日からブログを始めることにいたします。

 

2016年3月に会社員を辞め、今はお金にならないことばかりしています。
なぜ人は(というか自分は)わざわざ苦しい思いをしようとするのか、ということに興味を持ち、大学に入り直し、哲学あたりを学んでもいます。
人はもっと楽に楽しく生きることができるのか。このことと大学で学ぶこととが関係あるのかどうかわかりませんが、勉強は意外と楽しいということがわかったので、とりあえず学び続けています。

まずは、このブログでは、日々のできごとをネタに文章を書いてみることにします。

見たもの聞いたもの、感じたこと、なんでもないこと、を文字にするということは、
瞑想と似ている気がします。
外側から自分を眺めるところが似ていると思うのです。

かといって、「瞑想室」と題してしまうと怪しく思われそうなので、これからなにが起こるのか? という期待を込めて「ラボ」といたしました。

 エッセイのようなものと思って読んでいただければ幸いでございます。
エッセイというからには、面白く書かなければいけませんね。

……がんばります。

 

末永くどうぞよろしく。